【090111】小倉利丸さんの発言

◎前編


◎後編


司会(田浪):……小倉利丸さんはピープルズ・プラン研究所というところで活動されておられます。よろしくお願いします。
小倉:どうもこんにちは、小倉です。今日、報告なり問題提起をされる四人のなかで、多分このパレスチナ問題、そして国際的な政治の問題などをふくめて、私が一番どちらかと言うと素人──素人という言い方はおかしいのですが、それほど前からこのパレスチナ問題や、国際的な政治の問題にコミットしてきたのではないということです。今回の事態を踏まえて、突然何かこういうことを喋ることになってしまったという、ちょっととまどいもあるなかでお話をさせていただくということになります。
 それで多分──これは皆さんに配っているのですよね? 皆さんこの緑色の、今日受付で配布された資料があると思います。それでせっかくですので、この資料を見ながら私なりのコメントを述べると言うことで、今日の私の最初の問題提起に変えたいと思います。
 ここにいくつか基本的なことが書かれていて、僕はここに書かれていることに違和感があるわけではなく、むしろ納得をする立場ですが、いくつか僕なりに補足、あるいはこういうふうに考えることができるのではないかということをお話させていただいて、このあと鵜飼さんから三人の方がお話なさいます時に、もう少し立ち入ったお話が聞けるのではないかというふうに思っております。
 今、司会の田浪さんからお話があったように、今回のイスラエルの攻撃に関しては、その前にイスラエルによる長期にわたるガザの封鎖があったわけです。このことはこの緑色の資料の一枚目の「想像してみてください」というところに書いてあります。この長期にわたるガザの封鎖、いわば「兵糧攻め」は、先ほどの田浪さんの話にもあったように、メディアがひじょうに取り上げにくい話だと思います。
 つまり戦争であるとか、ひじょうにセンセーショナルで見た目にも報道しやすい話ではなく、長期にわたってじわじわと攻めていくというやり方です。ひじょうに耐えられないような、日常生活の環境に追い込んでいく。それは多分、僕の想像では、こうしたイスラエルの作戦は、このことを通じてハマスを繰り返し繰り返し徴発してきたのだろうと思います。ハマスを挑発し、ハマスのイスラエルに対する武装闘争が、何らかのかたちでひじょうに目立ったかたちで出てくることを期待していた。それをひとつのきっかけとして、イスラエルは「自衛のための」武力攻撃という口実で、一挙にハマスを叩く。いちおうそういうシナリオを作ってきたのではないかと思います。
 そういうことで言えば、このガザに対する完全封鎖というのは、僕の目から見ると巧妙なイスラエルの作戦だったのではないかと思わざるを得ません。このことの持っている人道的な問題や、イスラエルがとった政治的な思惑をふくめ、実は私たちはキチンとイスラエルを批判していくということは、ひとつひじょうに重要なことだということが、この文章を読んだときに感じたことでした。
 それからもう一つ、というか中に入りますが、二ページ目のところの「マスコミは暴力の応酬と言うけれど」というところで、先ほども話があったように、占領下の住民が抵抗するということと、それからイスラエルの武力攻撃をあたかも等価のように扱って、そしてイスラエルに対するハマスからのロケット攻撃の被害の映像を延々と流すというようなことが、日本のマス・メディアでも繰り返し行なわれてきていると思います。それで、ここに書いてあるように、占領下の民衆が抵抗するということは国際法上正当なことというふうに、僕も考えますし、そういうふうに言われてきました。
 暴力と暴力の応酬と一般的に言われてしまったり、あるいは日本のマスコミ報道の枕詞としてよく使われる言い方ですが、イスラエル軍とパレスチナの武装勢力の間の「武力衝突」という言い方があります。そういうような、あたかも両者の武装勢力同士、軍隊と武装勢力の間のある種の戦闘状態で、そこで一般の市民が巻き込まれている、とりわけガザの市民が巻き込まれて、それはイスラエル軍だけではなくて、ハマスの武装勢力の攻撃の犠牲者でもあるかのように、いわばそういう印象を与えるような報道になっている。
 それに対して、ひじょうに私たちが考えておかなければならないことは、武力による、あるいは暴力による抵抗というものをどう考えるのか、ということです。一般に日本にいて、この括弧付きの「平和」な社会のなかで、暴力というと、「それはいけません」ということになります。しかし、暴力一般をいけないと言って、そしてすべての問題の解決を、平和主義的に解決していくべきだということが、実際に私たちが歴史を見ていくときに、そういうことで歴史の評価ができてきたのだろうか、ということです。
 むしろ、そうではないだろう、というのが僕の意見です。つまり西側の、というかヨーロッパ世界が南北のアメリカを侵略し、そしてアフリカや非ヨーロッパ世界を植民地にしてきた、長い歴史があります。その歴史のなかで、先住民の人たちが力をもって抵抗する。それから植民地の民衆が、力でもって植民地からの解放の闘争を闘う。それはいずれも武器を持って闘うという闘い方でした。そういう闘いを、私たちはそれは武力によって、つまり暴力によって、何らかの自分たちの解放なり、要求を満たそうとしているものであって、それは好ましくないと、果たして言えるのだろうか、ということです。
 けっしてそうではないだろう、というふうに思います。よく非武装・非暴力主義の象徴としてガンジーの話がよく出ます。僕はガンジーのとった非暴力の闘いというものが、それだけで成り立ってきたというふうには思いません。その前提にはやはり多くの、武器を持った闘いがあり、イギリスの植民地支配に対する、長い抵抗の闘いがあって、そういう抵抗の闘いのなかで採られた、ひとつの戦術だろうというふうに思います。しかもその戦術は非暴力だけれども、けっして私たちの考えるような平和の闘いだったとは、僕にはとうてい思えません。
 ガンジーはその非暴力の闘いのなかで、多くのインドの人びとがイギリス軍によって殺されるかも知れない、それでもいいのだというようなことを言うわけです。それは多くの犠牲があっても、それでも最後は植民地からの解放が成し遂げられるということですが、しかしそれは多くの犠牲を覚悟してのことだというわけです。果たしてそうした覚悟の仕方が、本当に平和なのか、本当に非暴力と言えるものなのか、それともやはりそこで武器を持って闘うことのほうが、好ましいという選択肢がありうるのではないかということが常にあると思います。
 そういうふうに、実は非暴力の問題というのは、非暴力であればそれが正しいと 言えないという、ひじょうにむつかしい問題があります。その問題もふくめて、もうすこし冷静に考えてみたときに、やはり今回のイスラエルの侵攻、それからそれに先立つイスラエルの長年の占領に対して、パレスチナの民衆が力をもって抵抗してきたことに対して、私たちはそれを武力だから、暴力だからと、それに対してもイスラエルの武力と同様に批判をするという立場をとるべきではない。そこのところをハッキリさせておく必要があるんじゃないかというのが、もう一点です。
 それからこのパンフレット二ページの右側の、「日本に暮らす私たちにも」というところで、日本政府の対応のことが書かれています。その上のイスラエルの建国の話のところで、イスラエルのユダヤ人国家としての性格に触れている文章が最後のところにあります。これらふくめて、私たちが日本国家をもう一回考え直す、ひじょうに重要な問題提起であるというふうに思います。
 私たちは、多分日本が単一民族国家だと考えている人が、まずここにはいらっしゃらないだろうと思います。しかし、日本の政治化のなかには、日本というのは単一民族国家だと考えている人たちが、少なからずいることは事実です。そしてイスラエルが、このユダヤ人国家という国是を持っているかぎり、パレスチナの人びとやユダヤ人以外の人たちを、自分たちの国家のなかで正当に扱うということは、まずありえない。難民もふくめてますます膨れあがるパレスチナ人の人口は、少なくとも民主主義的なルールにのっとれば、それはパレスチナ人であると同時に、もしかしてイスラエルのなかで何らかの選挙権を持ってしまえば、一定の政治的な力を持ってしまうわけです。
 いずれにせよイスラエルにとって見れば、このパレスチナ人は外部に排除したい、排除しなければやはり単一民族国家という国是を実現できない、そういうことだろうと思います。ですから本音としては、文字通りホロコーストを内包せざるをえない、そういう性格を国家自体が持っている。
 同じことは日本についても言えるのではないかというふうに思います。その日本がイスラエルのように単一民族国家として牙をむくということが、今のところはそう目立ってはいませんが、しかしこの日本の現状を見てみたときに、朝鮮半島やアジア諸国との日本の関係を見たときに、いずれ日本がまたふたたび単一民族国家であるということを、ひとつの大きなイデオロギーとして持ち出してきて、日本の国内で、そして国外で力を行使していくということがあっても、けっして不思議ではない。そういうような印象を、今回のイスラエルの侵攻をひとつの反面教師にしながら感ぜざるを得ませんでした。
 日本政府が今回、イスラエルに対して強い態度をとっていない。たしか安全保障理事会の決議では、アメリカが棄権をして、日本も一定の決議に賛成をしましたが、しかしそのことはけっしてパレスチナの今の状況、とりわけガザで実質的な力を持っているハマスに対して、日本政府が何らかの正当性を与えているわけではない。むしろPLOもふくめて、パレスチナのなかにある政治的な分断をさらに強めて、ハマスを孤立させ、そして自分たちにとって都合のいいようなパレスチナの政権を維持し、あるいは作っていく。そのひとつのきっかけとして、日本政府は多分、あるいは日本政府以外の西側諸国も、この安保理の決議を利用しているのではないかとすら思えるわけです。
 そういうふうな日本政府の対応なども含めて、今私たち日本に住んでいる人間にとって見れば、日本政府の態度を変えさせていくということが、まず必要だろうし、私たちにとってもっとも、ほかのことに比べれば可能なことですし、私たちがやらなければならない責任の部分でもあるだろうと思います。
 そのことも含めて、イスラエルに対するガザ侵攻と、それから長年にわたるパレスチナの占領をやめさせるという、そういう大きな目標も達成できるのではないかと考えています。
 他にもいくつか重要なことがあるのだろうと思うのですが、さしあたり僕がこの今配布していただいた緑色のパンフレットを見ながら、思いついたところをコメントとして話させていただきました。最初にあまり専門家ではない私の目から見たコメントをさせていただいて、残りの方たちの意見を皆さんと一緒に伺いたいと思います。
 どうもありがとうございました。

テンプレートのpondt

inserted by FC2 system