【090111】鵜飼哲さんの発言

◎前編


◎後編

司会(田浪):……鵜飼さんにお願いします。鵜飼さんは、皆さんもご存じのようにご専門はフランス文学・思想なのですが、長年パレスチナ問題についても積極的に発言をして来られました。最近では「ティーチ・イン・沖縄」と題して、沖縄の問題についても積極的に関わっておられます。よろしくお願いします。
鵜飼:鵜飼です、こんにちは。今、田浪さんにご紹介いただいたように、私はこの数年「ティーチ・イン・沖縄」、本当は「連続ティーチ・イン・沖縄」というのですが、最近はあまり連続をしていないので、連続を取っていただいていて、その「ティーチ・イン・沖縄」という運動に関わってきました。
 今日はスピーク・アウトということで、おそらくスピーク・アウトという言葉は、やはりティーチ・インという言葉が居心地が悪いということで、それがスピーク・インになったり、スピーク・アウトになったりして、運動のかたちがベトナム戦争、ベトナム反戦のころから伝わってきて、そういう言葉になっているのだと思うのですが、内容がティーチ・インとスピーク・アウトでは逆ということではないと思うのですね。今日、これからデモに行くまで、皆さんと議論をして、考え方をぶつけ合って、そして街頭に出ていく、という時間を持ちたいと思います。
 そのためにいくつかの問題提起をする。そういうかたちで私の話をこれからさせていただきたいと思います。
 おもに短い時間ですが、四つのことをお話ししたいと思います。
 まず第一にガザで、これは東京新聞のコラムなどでも触れられていましたが、ガーゼという言葉はこのガザから来ているとも言われていますが、要するにひじょうに古くから織物が行なわれていたというところでもあるということです。私はもう六年前、まもなく六年前になりますが、9・11の直後の時期に、やはりイスラエルがパレスチナの自治区に軍事的な圧迫、そして攻撃を加えていた二〇〇二年の三月にガザに行きました。
 その時すでに、今、日々報道されている、エジプトとの国境であるラファであるとか、ハンユニスの光景はすでにきわめて荒涼としたものでした。それはすでにイスラエルの攻撃を受け、あるいは空爆を受けて崩壊した建物が、いたるところにありました。それからさらに六年が経ち、その上にこの攻撃がかかってきた。
 もうその当時から、私たちが忘れてはならないのは、パレスチナの友人たちに会うと、「こんなことが続いたら、パレスチナはなくなってしまう」という悲痛な声を、いつも耳にするわけです。もうそういう段階であって、その六年前には、まだガザはハマスが支配している地域ではありませんでしたから。
 しかし今日と同じ論理でイスラエルは忘れ(?)られることなく、ガザのパレスチナの自治区を攻撃していたわけです。その連続性を見ないで、ハマスとイスラエルの暴力の応酬というような話をするというのは、わずか六年前のことも忘れろということを、われわれみんなに報道そのものが言っているに等しいことなのですね。
 これは本当に、何十年も必要ないのです。わずか五年でも、一〇年でも、続けてパレスチナに関心を持ち続けていたら、誰でもわかるような意図的な隠蔽や嘘に、パレスチナをめぐる報道は充ち満ちています。このことを最初にお話ししたいと思います。
 それからフランスや他の地域、アメリカでも大きなデモがいくつも起きています。それからイスラエルのなかでも、アラブ世界のさまざまな地域でも、大きなデモが起きていますが、今回の出来事は民主主義ということについて二つのことを、どうしても考えなくてはなりません。
 このハマスという、イスラーム系というようには言われますが、この政治組織が、ようするにイスラエルとパレスチナの問題の中心に出てきたのは、選挙でこのハマスが勝利したからです。民主的な選挙です。何度も繰り返し言われていますが、元のアメリカ大統領の(ジミー・)カーターが、選挙監視団の責任者として行って、非常に民主的な選挙であった、と。その選挙でハマスはファタハに勝利して、パレスチナ自治区の政権に就くはずだったのです。
 このことを、民主主義を世界に広めるのだと言っている欧米の諸国が認めなかった。ここに現在のように、西岸とガザ地区とにパレスチナが分断されていく、そもそものきっかけがあったわけです。なぜハマスが、民主的な選挙に勝利したハマスに、政権担当能力を行使することを認めなかったのか。ここに要するに、現在世界で民主主義と言われているものが、都合の悪いときには簡単にそれを否定してしまう、そういう力関係のなかで、この言説があるということがひとつです。
 それからもうひとつ、これは特にフランスやイギリスのデモでは強調されるポイントですが、現在この攻撃を行なっているのは、カディマという政党と労働党、この連合政権が二月に予定されている選挙で、リクードというさらに右の政党に、勝つために行なっている戦争だ、と。つまり六議席のために、パレスチナ人が何人死んでもいい、と。このシニシズムに対し、自分が民主主義者だと感じている人たちは怒っているわけです。このことは日本ではそれほど強調されていないポイントだと思います。  ですから、この民主主義ということが、この過程のすべてに、実はひじょうに大きな陰を落としている。ここで言われているような民主主義、このようなかたちで働いてしまう民主主義とは、いったい何なのだという問いが、今回のこの事態にはあるということなのですね。
 さらにメディアということで言えば、最低限大きなことが起きれば数十年、この地域でいったい何が起きてきたのかということの、簡単な年表ぐらいは、数十年前であれば『朝日新聞』とか『毎日新聞』には出たと思います。しかし最低限のことをわからせてくれるような年表も、私の見るかぎりこの間出ていません。
 オスロ合意って何だったのか、そのあとにどういう虐殺が、誰によって、どこで起きたのか、そしてオスロ合意をイスラエルの側で提唱したラビン首相は、いったい誰に殺されたのか。これはようするに、いわばユダヤ教の原理主義的な組織の若者によって殺されたわけです。そのことがオスロ合意以降のプロセスにとって、大変に大きなブレーキとなったのですね。そしてゴールドシュタインという、アメリカからやってきたユダヤ系の医師によって、アカペラの洞窟と言われるところでパレスチナ人に対する大虐殺が行なわれる。
 こうしたことが、要するにイスラエル系の組織の伸張も招いたわけですし、オスロ合意にパレスチナ側で関わった人びとを、政治的にどんどん孤立させていった。こうしたプロセスをすべて、いったい何を見ればわかるのか、というぐらいに隠蔽されています。
 しかし同時に、私は今回のイスラエル、ある意味で今まで通りの行動です。ようするに挑発を繰り返し、反撃を受けるとそれをテロリズムと称して、一〇倍、百倍、千倍の攻撃を加える。これはもう、ずっとイスラエルはこのパターンで行動してきました。しかし私は今回、これは理由ははっきりと自分でもわからないのですが、しかしイスラエルも来るところまで来たのではないか、というような感じがするわけです。
 ひとことで言うとどういうことかと言うと、いままで、かつてはイスラエルだけがこういう行動を許されていたわけです。ところが9・11以降、反テロ戦争というのは、このイスラエルの行動様式を、アメリカが全世界に広げていったということなのですね。9・11直後に私は、先ほども言いましたように私はパレスチナに行ったわけですが、その時に私は、イスラエルの人びとの顔はこれでやっと我われのことが、世界中の人びとにわかっただろう、そういうことです。反テロ戦争の論理によって、イスラエルの行動が世界中に理解されるのだ。だからパレスチナで、イスラエルは何をやってもいいのだ、というかたちで行動していました。しかしその後の世界の流れは、反テロ戦争の論理で、イラク、アフガニスタン、そして他のムスリム諸国に、同じ論理を適用していったところ、アメリカは簡単に行き詰まってしまったわけです。
 いわばアメリカがイスラエル化し、世界がアメリカ化する、というのが9・11後の世界であったとすれば、明らかに今、それでは立ちゆかなくなっている世界が脱アメリカ化を始め、ひょっとしたらアメリカも脱イスラエル化を始めるかもしれない。この逆流が、歯車が、今、明らかに逆に回り始めています。しかしそれは自動的には廻りきりません。私たちの力でそれを最後まで廻さなければいけない。
 それはどういうことか? アメリカが脱イスラエル化する、行き着く先はイスラエルが脱イスラエル化しなければならないということです。もはやこういう行動様式を、この国が取れなくなる。しかし多くのイスラエルの人たちは、それが取れなくなったらイスラエルはおしまいだという気持ちにも、とらわれているわけです。行き着くところはここなのです、私の考えでは。そしてそれをそうではない方向に、どうこの世界を変えていけるのか。その大きな転換点に、我われは今いると思います。
 最後にひとこと、日本の荷担です。私は先ほども言いましたように、最近は沖縄のことに関心を持って、運動をささやかながらしてきました。それで去年の七月に、琉球新報にひとつの記事が出ました。それは沖縄の北部訓練所、今問題になっている嘉栄のヘリポートの問題があるところですが、ここにベトナム戦争の頃から、ジャングルでの戦闘訓練ということで、米軍が訓練基地を持っています。この訓練基地で、ドイツとオランダとフランスが、米軍と自衛隊と合同で訓練をする、そういうことを目指して調査にやってきた、こういう記事が載ったのです。
 この背景がいったい何なのかということを、まだ十分に調査しきれていないのですが、今日もおいでになっている、先月の三〇日の行動でご一緒した方から、参議院銀の山内徳信さんが永野防衛施設局長に聞いたところ、驚くべきことに「防衛庁は関知していない」という答えがなされてきた、ということを伺いました。ということは場合によっては、自衛隊が防衛庁とは一定違う形で、こういう連携を、中東に出て行ったことの余波のなかで始めてしまっているのかも知れない。
 これは要するに、田母上問題ということで我われの前にある問題が、実は中東とこういうかたちで繋がっているのかも知れない。いまだその背景はよくわかりませんが、あきらかにこの歯車を、先ほど言った歯車を我われが廻しきれなければ、どういうところに我われの中東への関わりが入り込んでいってしまうのかということを、予兆的に示すひじょうに不安なことがらだと思います。そしてそのことが、沖縄の人びとの上にあいかわらず押しつけられているということ。
 このすべてが、我われが抵抗し、打ち破っていかねばならない、この時代の“壁”です。それがパレスチナでは物理的な壁のかたちで存在しているということを、最後に思い出しておきたい。
 どうもありがとうございました。

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