外務省ホームページ「わかる!国際情勢vol.15 対立を越えて〜イスラエル・パレスチナの信頼関係を構築する」の問題記述について


 本実行委員会では、5月31日の集会に先立ち、かねてよりその記述の問題点が指摘されていた、表題のホームページの記述内容と執筆経緯などを質すために、外務省(広報文化交流部)にあてて質問状を送付しました。



2009年5月4日

外務省広報文化交流部長殿

前略

 私たち「イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ! 実行委員会」は、昨年12月27日に始まったイスラエルによるガザ侵攻をきっかけに活動を開始した、有志の市民の集まりです。イスラエルによるガザ侵攻に抗議すると同時に、1967年以来続いている、イスラエルによるパレスチナ占領の終結を求め、日本の市民レベルで出来る取り組みを模索しております。
 さて私たちは、貴省ホームページに掲載されている、
 「わかる!国際情勢vol.15 対立を越えて〜イスラエル・パレスチナの信頼関係を構築する」
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol15/index.html)には、歴史的事実を甚だしくゆがめた記述が多く見られ、問題があると考えます。下記1.2.についての貴省の見解、および3.4.についての回答を、当実行委員会に対してお答え下さいますようお願いします。また、貴省ホームページ上で当実行委の質問および貴省見解を公開して頂けますよう、合わせてお願い致します。

 なお、ご多用のところ恐縮ですが、当実行委員会への回答は5月25日(月)までに頂けますよう、重ねてお願い致します。




1.

 「では、そもそも中東戦争とはどのようなものなのでしょうか。イスラエル・パレスチナ間の対立は、民族、宗教、政治、経済など、色々な要因が絡み合った複雑な問題です。19世紀末、国家を持たなかったユダヤ人が、世界各地で起こった迫害から逃れ、イスラエルの地(パレスチナ)に祖国を作りたいという運動(シオニズム)を起こします」について。

(a)上記記述からは、「ユダヤ人は国家を持たなかった」→「だから迫害された」→「迫害から逃れるために祖国を作ろうとした」という、ユダヤ人による国づくりは歴史の必然であったかのような論法が浮かび上がります。しかし、ここで言われる「ユダヤ人」迫害が起きたのは、近代ヨーロッパにおいてであり、現在の中東やアフリカ地域に暮らしていたユダヤ教徒は、他の宗教を信じる人たちと、長年にわたって平和に共存していたことが知られています。「世界各地で起こった迫害」との表現はそうした歴史を覆い隠すものですし、このことによってシオニズムの登場は必然だったという見方を植え付けてしまいます。

(b)近代ヨーロッパに限定しても、ユダヤ教徒迫害に対するユダヤ人の対応策はさまざまであったのであり、シオニズムはその数多くの「解決策」の一つにすぎませんでした。「イスラエル・パレスチナ間の対立は、民族、宗教、政治、経済など、色々な要因が絡み合った複雑な問題です」と述べている割には、あまりにも簡単に済ませた説明であり、それゆえに多々の誤解を生じさせている文章ではないでしょうか。また、「19世紀末、国家を持たなかったユダヤ人」という表現が使われていますが、この段階ではあくまで「ユダヤ教徒」であり、民族的な一体性を含意する「ユダヤ人」は、シオニズムが生み出した概念です。


2.

 「そして、英国によるパレスチナ委任統治の終了した1948年、イスラエルが独立を宣言。これに対して周辺のアラブ諸国が強く反発し、第一次中東戦争が起こりました。その後も中東戦争は断続的に勃発し、イスラエルのユダヤ人と、それまでこの周辺に暮らしていたパレスチナ人を含むアラブ人との対立は、石油危機など世界中に大きな影響を与え、多くのパレスチナ難民を発生させました」という箇所について。

(a)上記記述によれば、パレスチナ難民は、イスラエル建国後に「イスラエルのユダヤ人と、それまでこの周辺に暮らしていたパレスチナ人を含むアラブ人との対立」によって生まれたことになってしまいます。しかし実際には、パレスチナ委任統治の終了直後からユダヤ組織によるパレスチナの町や村の包囲や破壊が開始され、イスラエル建国宣言までの間に35万人のパレスチナ難民が発生し、第一次中東戦争の終結までには合計70万人のパレスチナ難民が発生したと推定されています。国連総会は1948年12月11日に、難民の速やかな帰還を求める決議194号を採択しております。従って、貴ホームページの記述からは、イスラエルの建国に伴って難民が生まれた事実が全く欠落していることになります。

(b)無論、イスラエル建国後に新たな難民も生まれています。1967年の第三次中東戦争の結果、およそ30万人のパレスチナ人が、ガザとヨルダン川西岸地区から新たに追い出されています。これは何よりもイスラエルが両地区を占領したことからもたらされた結果であり、単にイスラエルとアラブ諸国との戦争の結果ではありません。ここではイスラエルによる占領の事実が全く欠落していると言わねばなりません。また、「それまでこの周辺に暮らしていたパレスチナ人を含むアラブ人」とありますが、なぜ「パレスチナに暮らしていた」とせずに、あえて「この周辺に暮らしていた」という表現を用いているのでしょうか。パレスチナ人がイスラエル建国によってこの地から追い出された事実を意図的に曖昧にしているように思われます。


3.

 この「わかる!国際情勢vol.15 対立を越えて〜イスラエル・パレスチナの信頼関係を構築する」という記事は、誰が、何を参考にして執筆したものなのでしょうか。担当課、執筆者、参考文献、および外部専門家の協力を仰いだ場合は、その人物について、明らかにして頂きたいと思います。


4.

 外務省のホームページに掲載されている記述は、日本の外交政策を反映したものと考えられます(一般の国民はそのように理解します)。この「中東戦争」の解説記事において、イスラエル建国によってパレスチナ難民が発生した事実が意図的に曖昧にされ、イスラエルによる占領の事実について全く言及がないということは、日本政府はパレスチナ難民問題とイスラエルによる占領について、一切不問に付すという立場だと理解して良いのでしょうか。そうであるとするならば、こうした「立場」がいつ、どのような経緯で確立されるに至ったのか、教えてください。

以上

          「イスラエルは占領とガザ侵攻をやめろ!」実行委員会
                   <連絡先>〒101-0063
                      東京都千代田区神田淡路町1-7-11
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                    アジア太平洋資料センター気付
                    TEL 090-6498-6448

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